コンフォートクックのブログ「航海日誌」
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大事なものの「みつかり方」  

−震災− Part 2/4 「偶然の不思議」 大事なものの「見つかり方」



アメリカの作家ポール・オースター(Paul Auster)は、彼自身が体験した、また彼のもとに届いた、「ひどく出来過ぎた、偶然の出来事の実話」に、現実の人生の “組み立てられ方” が説明されている場合もあると考えていらっしゃるようです。

エッセイ集「トゥルー・ストーリーズ」(新潮文庫 柴田元幸 訳)の“訳者あとがき”には、訳者、柴田元幸さんの素晴らしい解説がされています。私が大事だと感じた部分を少しご紹介しておきます。

“インタビューでも、どうしてそんな実話に興味を持つのか?と問われてオースターは、「きっと僕は、『現実の成り立ち方』ともいうべきものに心底魅了されているんだと思う。つまり、物事が実はどうやって起きているのか。人生の出来事がどのように生じるのか。そして、これは僕がいつも感じることなんだが、新聞やテレビでは、さらには小説でも、物事の真相が歪められているんじゃないか。現実が持っている、不思議で、意外な本質に、本当に向き合っていないんじゃないか」と答えている。”

“たとえば小説が「偶然の一致」を安手の仕掛けとして排除してきたことをオースターはかねてから批判している。オースターからすれば、偶然の一致を排除する人々こそ、むしろ現実を正しくみていないのだ。”

ポール・オースター著「トゥルー・ストーリーズ」(新潮文庫 柴田元幸 訳) ”訳者あとがき”より引用



コンフォートクックの仕事も、「偶然の出来事」を大切に進んでいます。「小さな偶然」を大切にしていくと、大事なものが、突然あらわれたりすると、信じているのです。

身近に起きた「小さな偶然」を、ていねいに覚えていくと、満天の星空の「星」と「星」とが導かれるように、つながって「星座の物語」が描かれていく、その美しいこと。

私は、神戸の震災以来、そうしたことを気にしないでは、いられない。


わたしの個人的なはなし

・・・ むかしむかし、コンフォートクック創業の間もない時のこと、私の隣の席で手伝ってくれていたEさん(愛知県)は、その類い希な知性で、なにかと有益な意見をくれました。半年くらいたったある日のこと、普段のなにげない会話のなかで発覚し、“こんなこと、現実にあるの!?”と、ますます「偶然」を大切にすることになった、偶然の出来事について・・・

それより10年前にさかのぼり、神戸の会社に入社した時、当時、たまたま隣に席があって、英語もろくにできない私に(社内の公用語が英語のため右往左往して)、有益な助言をくれたトレーニングのYさんという方がいらっしゃいました。

この入社時に、隣の席だったYさんと、10年後、コンフォートクック創業期に、隣の席で手伝ってくれたEさん、ふたりとも、当時の私にその客観的な視点から、「そのユニークな発想力で仕事を進めていけば、賛同者は必ず現れて、増えていく」とアドバイスをくれ、その後そのとおりになった。

神戸の会社でも、コンフォートクックでも、いずれも「初期」に頂いた、二人のアドバイスに、いまも感謝しております。

ある日、Eさんとのある会話をきっかけに、突然、わかったこと。愛知のEさん、神戸のYさん、ふたりは、中学以来、会っていないとのことだったけれども、「従姉妹」だった。


もっと、むかし、ある夏の日、ミネソタ州セントポールから五大湖に1泊のドライブ旅行にでかけたその同じ日に、日本では、郷里の親友Sが、富士五湖に1泊のドライブ旅行に行っていた。走った距離は、ともに700だった(700マイルと、700キロ)。そして、Sとは、誕生が「7年と16日」違う。そういう巡り合わせらしい。(滞在した湖も、五大湖で一番大きいスペリオル湖と、富士五湖で一番大きい、山中湖だった。)


私が深刻な病気かもしれないと最初に気づいたのは、陶芸家Dだった。Dの作品はメトロポリタンなど世界の著名な美術館に収蔵されており、作品には特別なオーラが漂い、ひと目で虜になる。そのDが「絶対、変!」と言い残し、帰国したイギリスから何度も、何度も、電話をしてきて、大きな病院へ検査に行くことを強く主張し、結果、そうだった。もしあの秋にDと半年ぶりに再会していなければ、事態はもっとひどくなっていただろう。

MRI検査により大きな脳腫瘍が見つかったその3日後、神戸の親友Iが、突然、前触れもなく、電話をくれた。2週間くらいすると、アメリカのOから突然、前触れもなく、電話がかかってきた。

“物理的に距離のある友人”と話すことで(いずれも神戸時代の友人)、あの時、余命の予測もあって、途方に暮れ、深く埋没していく自我のなかに、ぐいーっと、“心のホワイト・スペース”が広がり、客観的に判断し、その時のベストな治療方針を決定していく「救い」となった。IもOも、当時の同僚でしたが、道はそれぞれに別れ、そして、それぞれその時には、病院の知識が豊富になっていた。Iには大局観を、Oにはメイヨークリニックの実際の様子を、そして、陶芸家Dの幼なじみもアメリカのトップクラスの脳外科医となっており、そのセカンドオピニオンをもらった。当時、自分が深刻な病気になったことは、つらくて言えなかったけど、手術の直前に神戸の親友Kに打ち明けたら、Kのクラスメートが優秀な脳外科医になっているとのことで、すぐにつないでもらい、手術方針のセカンドオピニオンも得て、どれほど安心できたことか。そして私は、今日も元気に、いまを生きている。(じつは後年、再発時にも「偶然の不思議」が起きたのですが、これはまだ最近のことすぎて、冷静にはお話しできない。)

“魔法とは、あなた自身を信じること”




1995年1月17日

六甲道のアパートの外にでてみると、あたり一面、倒壊しており、近所のいつも行くお好み焼き屋「文月」のおばあさんが路地に震えて立っていた。すぐ部屋にもどり、綿の入った暖かい羽織をもって戻った。4階のアパートのベランダから見ると、まだ暗いから、商店街の一角から火がでたことがわかる。そして、あちらから、こちらから、小さな火が出始める。この火は、午後には、あたり一体を燃え尽くしていく。

朝、明るくなってから、周囲の状況をみなければと歩き始めると、すぐに、見知らぬおばちゃんが寄ってきて、私の腕をとり、あそこに学生さんが埋まっているから助けてあげてと、倒壊したアパートに引っ張っていかれた。

大きな余震も続き、怖いけど、2階建てのアパートの1階部分がぺちゃんこになっており、とにかく今は1階の高さにある、2階の廊下をとおり、窓から入ってみる。

そのおばちゃんが、すぐに「助っ人」をもう二人連れてきた。家具が邪魔して大きくは捜索できないので、3人でまず、ここを剥がそうと、いま立っている、この足下の床のカーペットをめくり、畳を剥がし、床板を剥がすと、1階の天井板と思われるものが下に見えてきた。その天井板を剥がすと、そこには、学生さんの顔があった。寝ていたら2階が落ちてきた、そのちょうど頭のちかくを、偶然、掘ったことになる。顔があらわれたとき、彼は、顔の前に両手をあわせて、おもわず、私たちを拝んでくれた。「言葉」は、あまりのことで、でないんです。そして、不思議にも、挟まれておらず、すぐに肩から引きずりだせた。

3人の足下に「穴」を開けたら、そこが大正解だった。次に隣室へ、そして、別な建物へ。いつも掘ったところが大正解だった。堀直しは、必要なかった。

最後は、もうだいぶ時間がたっていて、火事が勢いを増して燃え広がったエリアの、倒壊した土壁づくりの古い、二階建ての大きな長屋造りの建物にいきついた。そのころになると、火は、あたり一体を焼き尽くしており、すぐ隣に建つ、モルタル壁の比較的新しい一軒家が、火を食い止め、この土壁の倒壊した建物への延焼を防いでいたけど、すぐそこに迫った火が、いつ、このモルタル壁を乗り越えて延焼してくるかと、怖かった。空にはヘリが飛んでおり、火災の煙や、煤が、ヘリの起こす風にあおられてか、どんどんこちらに降ってくる。そのヘリが邪魔で、うらめしかった。

終わった時は、みんな顔が煤で黒かった。でも顔を洗う水もないし、飲む水もない。JR六甲道の駅は、ぺしゃんこになっていた。

その夜見た夢は、白黒で、龍が大阪湾の上空を飛びまわるものだった。記憶がしっかりしているのは、このあたりまで。それから半年間の記憶はあいまいで、出来事の記憶というよりは、時々の感情の記憶だけが今も定着している。ずいぶんお酒も飲んだ。


1年半後、1996年の初夏、急な事情で愛知県に戻らなければならなくなり会社を辞め引っ越すことになった。引っ越しの前夜、トラックがきて荷の積み込みを終えると、ひとりで散歩してみることにした。急な事情で愛知県に戻るために、会社も辞め、神戸の親友たちと離れていくその時期(震災体験を共有する戦友です!)、心は、ぐちゃぐちゃだった。

1年半前の震災の日に、あたり一体が火事で焼けてしまった商店街のストリート両脇には、急場しのぎの建物で徐々にいろんなお店の営業が始まっていた。その時期になると、みんなに復興の勢いがついてきていて、1週間で商店街の様子が変わっていく。以前は魚屋さんがあった辺りだけど、ひとつ筋を入ったところに、今日まで気づかなかった「中華料理店」をみつけて、暖簾をくぐると、「はえーい」と元気のよい声。はじめての声じゃなく、聞き覚えのある声!

だいぶ体重を落とされ細身になり、若返った印象の、アパート隣の食堂のおやじさんが再開した店だった。つい最近、ほんの1週間ほど前に開店したとのこと。神戸を去る前夜に、偶然、再会できたのだけれど、おかあさんもご無事、ご家族みんなご無事であるとわかり、この再会に感謝し、引っ越しの夜は、スペシャル!な、爽やかな夜になった。


あと書くのは、
 Part 3/4 記憶力に自信があっても「記憶がなくなる時期」
  Part 4/4 健康について「半年後にご用心」
の2つです。


“魔法とは、あなた自身を信じること”


あなたが気になる「偶然の不思議」を見つけられたら、その偶然は、なにか大事なことかもしれません。

偶然の発見は、「守られている」と実感する時。

10年という歳月をへて、今はつらくても、「偶然の発見」は、未来のあなたを美しい物語へと紡いでいくのだと信じています。


実はこの1週間、突然、10年ぶりに、陶芸家Dから頻繁に連絡が入るようになっている。なにか大きな転機がくる予感・・ もちろん、いい意味で!



# by comfortcook | 2011-06-12 15:39 | 震災について | Comments(0)

新しい物語の「はじまり方」  

新しい物語の「はじまり方」

—震災— たとえ今は「人生の次の1ページ」を描けなくても

震災について、私には書くことができませんでした。

被災されたコンフォートクックのお客様、震災で影響を受けたコンフォートクックのお客様に少しでも安心していただけるようにすること、笑顔に少しでもなっていただくお手伝いをすること、ただそれ以上のことはできませんでした。

今それでも神戸の震災体験を整理して、すこしだけ書いてみます。被災をされ、一人で悩んでいらっしゃる方に、もし何かご参考にしていただけるところがあればうれしいです。

Part 1/4 新しい物語の「はじまり方」

私の「ガラスの靴」という仕事

いま神戸の震災の時分には思いもよらない、昔の私には、“想定外”の仕事、「ガラスの靴」をつくってお届けしております。お客様からいただくお手紙を読んでいると、「ガラスの靴」をつくる仕事は神様の贈り物かもしれないと体験する瞬間が何度も訪れます。その瞬間は、年月とともに増えるばかりです。

被災をすると、もう過去のままの「ものの見方・世の中のとらえ方」ができなくなります。過去ずーと追求してきた仕事をあきらめて、別世界の畑違いの仕事をすることになる方もまわりに大勢いらっしゃることでしょう。

世間の認める典型的な、安定的なキャリアパスは、もう自分のものではないかもしれないけど、だけど、あなたがこれから迷いながらも、悩みながらも、あなた自身で作っていかれるキャリアパスは、きっと遠い将来、素晴らしい、オリジナルな物語になります。どんなに今つらくても、10年先には、新しい毎日に感謝の思いのいっぱいある幸せな日々が、あなたに、きっと訪れています。



わたしの個人的なはなし

・・・ 阪神大震災の直後、私の「未来の物語(キャリアパス)」は、いずれ時間がたてば、これまでのキャリアパスの延長線上に展開していくものと疑うこともなく、当時のそのド真ん中の日々には、これほど極端に、私のキャリアパスが変わってしまうなんて・・ “想定外”です。まずド真ん中の日々の眼前には「復旧」という課題があり、当時いつもはなにかとおさわがせの大男の米国人研究者のR氏がまず率先して勇猛果敢に工場の復旧に尽力したりと、復旧期には、みんな団結して取り組みます。しかし、一人一人の物語は、もう震災前とは同じでなくて・・・

震災からすこし時間がたち、ふつうの、らしい生活になった頃、私には、気を許すとすぐに忍び込む「虚無」とはりあう毎日がはじまりました。ずっと続いていくはずだった「ふつうの生活の物語」が突然ご破算になるという現実、生きるということのホントの現実。震災から半年ほどたち「ふつう(らしい)生活」が手に入ると、「震災が起きた理由」を探し求めたり、そのことの「人生の特別な意味」を見いだそうと突き詰めて考えたりすることに、ついつい、”執着”し、とらわれてしまい、その執着は「思考のくせ」になり、いつの間にか、ただ、つらくなります。

この「つらさの存在」を、「背負った運命だ」と解釈しすべてを取り込んでしまう方法もあるけれど、また、そうして納得する方法を他者から勧められることがあるかもしれないけど、それを経験した私は、今、それをしてはいけないと、あなたにアドバイスします。そう解釈する方法では、この“想定外の出来事”を「私の物語」の中に「ちゃんと意味付けること」に心の視線を向けるあまり(それは過去を考えるばかりの時間です)、いつまにか、本来ある「自分の可能性」が視界から外れていってしまうのです。そこまでしては不要な病気まで招いてしまいます。気をつけて!

あなたに訪れた“想定外”により、物語の第一章が予期せぬ閉じかたをしても、とんでもなく不本意で、今までのキャリアパスを続けられないことになっても、暖めて描いていた人生の物語の「あらすじ」が、もう成立しなくなっても・・ 長い時間が経つと・・・ やっぱり、どんなに今、つらくても、新しい物語の「はじまり」が来ます。

あなたの視界から外れないように、あなたが本来“持っている”可能性を、ちゃんと視野に入れておかれたら、今どんなにつらくても、あなたの物語の第二章は、いつか、すばらしい、新しい物語となっていることでしょう。

阪神大震災から、過去を俯瞰できるだけの年月が経ってみて、この“想定外”の出来事は、当時、物語の閉じ方を不本意に強制したけれど、わたしの「新しい物語」のはじまりとして、今は受けとめられるものとなっております。

だから、たとえ今、次の1ページをどうにも描けなくても、あまり気をもまないで。自分をつらく追い込まないでくださいね。いつか将来、素晴らしい次の1ページを描いているあなたご自身に出会うことを、信じてみてください。

“魔法とは、あなた自身を信じること”



1995年1月17日
六甲道のアパートは、文化住宅もあった古い地域にあり、神大の学生も多く下宿するエリア。その日は、夜明け前早くに目覚めてしまい、連休明け初日に設定したヨーロッパとのテレビ会議、その進行が気がかりで、相手はメチャ気難しい**W氏(アメリカから赴任の特許弁護士)が率いるヨーロッパの知財チーム、気が重く、まだ暗いうちから目が覚めてしまい、あきらめて天井に吊り下げた蛍光灯のひもを引き、寒いので布団に入りながら、仕事の本を開いたり、床に置いた小さなテレビをつけたり、まんじりともしない寒くて暗い1月17日の早朝、突然、この世のものとは思えない大音響が私の体を叩き、隣室の机上に置いた大型テレビが水平に発射されて部屋の向いの壁に激突したのが視野に入ると、横では、重いタンスはピョンピョン跳ねて畳の上を歩きだしており、天井では、少し前にスイッチを入れた、吊り下げた照明が狂気のごとく踊っている。

“これ? ポルターガイスト! いま、映画の世界が現実に起きている!”

年の暮れにした世界一周の出張のとき(時差のきつい逆回り)、最後に立ち寄ったヨーロッパのあの戦火の歴史の街で、パワフルな霊を連れてきたかと(あの頃、私はその敏感体質かと思っていた時期でもあり・・)、とっさにご先祖様に謝り、遠くに暮らす両親に謝り、仏壇を思い浮かべ、知っている仏教用語を念じ、一心に念じても、その怪現象は止むことなく、ポルターガイストは、ありえない大音響とともに、念じても念じても、これでもかと続く。

怪現象が収まり、「かあちゃん、大丈夫か」とアパートお隣のときどき定食を食べにいっていた食堂から高校生の息子さんの声が聞こえたとき、「私の部屋だけ」に起きたポルターガイストではなくて、はじめて「ありえない大地震!?」と気づき、倒れた壁のすきまを潜り、階段を降り、アパートの外に出たら、やばかった。

このあと震災について書くのは、
 大事なものの「みつかり方」
  記憶力に自信があっても「記憶がなくなる時期」
   健康について「半年後にご用心」
この3つを書きます。

“魔法とは、あなた自身を信じること”

あなたが、いっぱいの新しいページを書いていかれて、次のページ、次のページへと、新しいページがめくられていき、「物語」の新しい章が次々と書き上がっていくのを、「あなたの可能性」は待っていると思います。あなたが本来“持っている”可能性を、視界から外さないように、ちゃんと視野に入れておかれたら、たとえ今、どんなにつらくても、あなたの物語の第二章は、いつかきっと、すばらしいものになることでしょう。

# by comfortcook | 2011-06-05 16:21 | 震災について | Comments(0)

100年に一度だけの、おまじない  

2011年2月2日


100年に一度しかこない、いいふうふの日。

毎年くる「11月22日」じゃなくて、11.2.2 のこの日は、100年に一度しかこない。

だから、今日は、

100年に一度の、とびっきりの ”おまじない” をかけよう。

コンフォートクックは、今日 100年に一度のこの日に、5年半ぶりの大幅なサイト・リニューアルをしました。




だから もう、大丈夫。

いっぱいの幸せなシンデレラが生まれます。

# by comfortcook | 2011-02-02 22:50 | コンフォートクックについて | Comments(0)

SNKさまへ  とけない魔法  

これからご紹介するSNKさまのお手紙は、4年前の春にいただいたもの。「ガラスの靴」がお手元に到着した時のお気持ちをとても丁寧に書かれた長文のメール。4年前、掲載許可をいただいたとき、同時に、SNKさまには、ブログを始めることを強くすすめていただきました。ブログをはじめたら、まっさきにSNKさまのお手紙を掲載するとお約束したもの。でも当時、いろんなことが重なって、ブログをはじめることができなくなり、長い、長い時間がそれから過ぎてしまいました。今日、ようやくSNKさまのお手紙やお写真をみなさんにご紹介できるようになったこと、ただ感謝するばかりです。

2007/4/2 3:07AM

コンフォートクック御中

3月31日、無事に商品が届きました!

この日は、偶然にも彼と付き合い始めた記念日でもあり、
絶好のタイミングで『ガラスの靴』を受け取ったことに、
あらためて不思議な縁を感じました☆

開封した時、家には私一人でしたが、あまりの綺麗さに驚いて
思わず声を出してしまいました~☆
その感動は今でも続いています!いや、一生続くと思います!!

実は先日、新しい箱の紹介をじっくり見ていた所、
『H&S ETERNAL』の靴が花とともに飾ってあるのを見つけました!
もしや、まだ見ぬ私達の靴かしら?!とワクワクすると同時に、
ファンであるこのサイトに載っている事がすごく嬉しく感じました☆
( 『ETERNAL』は2年前の3月31日に初めて二人でデートをして、
その時観た映画が『エターナル サンシャイン』というタイトル
でしたので、そこから取りました )

実物のガラスの靴は本当に素敵ですね!想像以上です☆
ペンを購入したことから、わざわざ赤と白でのアイデアをご提案
下さったり、特別に気泡の少ないテーブルボディーにして下さったり、
さらに、替えのノズルまでプレゼントして頂きまして、
本当にありがとうございました!とても嬉しかったです♪
伊藤様の温かいお心遣いに深く感謝いたします。

新しい箱もセンスが光っていますね!すごく気に入りました☆
『12時過ぎの時計』のモチーフは、なんだか想像が膨らみますね。
確か、シンデレラのお話では12時を過ぎると魔法が解けてしまう。
でも、ゲーテのフレーズにあるように自分を信じていれば、
魔法はずっと解けることはない…魔法は実現された現実として
存在していく…
というように私は解釈しましたが、間違っていたらスミマセン★
伊藤様の解釈を是非お聞きしたいなぁと思いました。

今回、赤と銀(白)にこだわったのは、結婚式のお色直しを和装に
したからです。紅白の意味合いを込めて。
そのため、赤の台の新しい箱は、理想的なものです。
チャペルでリングピローとして使った後は、
もちろん、披露宴にも飾らせて頂く予定です♪
今から、みんなの反応が楽しみです。

今回、素敵なサイトと伊藤様に出逢え、私達は幸せです☆
『ガラスの靴』を憧れていた幼い頃のような純粋な気持ちを
いつまでも忘れずに、コンフォートクックの皆さんの想いが
こもったこの『ガラスの靴』と一緒に一歩一歩未来に向かって
進んでいきたいと思います。
どうもありがとうございました!!

文章が長くなり、申し訳ございません★

「愛知 SNKさまからのEメールより」


SNKさまからは、さらに2枚の写真を、このメールの直後に届けていただきました。挙式の2年前に、ご友人とドイツの『ノイシュバンシュタイン城』へ旅行された時、携帯電話のカメラで撮影されたスナップ写真です。ディズニーランドのシンデレラ城のモデルとなったこのお城。SNKさまのお言葉をそのままお借りすれば、


”ノイシュヴァンシュタイン城は、ロマンチック街道の終点に相応しく、
とても見応えのあるお城でしたよ!!
画像は、断崖絶壁の峡谷に架かる吊橋(ちょっと恐いです)、
マリエン橋から見たお城なので、正面ではありませんが絶景ポイントらしいです。”

撮影 SNK様



ノイシュヴァンシュタイン城の正面
撮影 SNK様と一緒にいかれたご友人


さて、SNKさまがお手紙のなかで尋ねられました「私の解釈」は、当時、このようにお伝えいたしました。

・・・

「ガラスの靴」も、「時間」を工夫した物語。(後註: 映画「エターナル サンシャイン」をうけて) SNK様のおっしゃっていただけました解釈のとおりです。「夢」に思いを馳せる想像力、人間に備わったこの特別な能力は、未来を作っていくエンジンと思います。長い人生の単位でみれば、やっぱり、ゲーテの言う魔法は、ほんとうに実現していくと思うのです。

しかも、それは時々、個の想像の境界をも超えて、”縁”や”運命”によって導かれ、さらに展開していくのですから、不思議です。今、お手元にある「ガラスの靴」。SNKさまの魔法がこれから、どんどん実現していくことの存在証明なのだと思います。 

(制作側がこうしたことを言ってしまう構図、これって、変な商法?っぽい構図になってないかと、ここまで書いて気付きましたが、でも、確信する想像力=魔法なのだと思います。未来はそのようにしか出来てこないと、未来はそうして実際、創られていくのだと思います。)

・・・

このようなコミュニケーションの機会、気づきの機会をいただけたSNK様は、わたしたちにも特別なお客様です。いろんなことがあっても、この瞬間、感謝の気持ちでいっぱいになり、余計な気持ちは退散してしまいます。<(_ _)>

SNKさまの ”特別な日” にお届けできた「ガラスの靴」、予期せぬ偶然の出来事だけど、それは神様がアレンジされたSNKさまへの「魔法」だったのかもしれません・・・

# by comfortcook | 2011-01-26 00:36 | ガラスの靴についてのニュース! | Comments(0)

魔法のはじまり=シャルル・ペロー(「ガラスの靴」x「灰かぶり」)  



魔法のはじまり

一度、聞いてしまうと、もうアンインストールできない、不思議な力を持つ「シンデレラ物語」。 1836年、バルザックが「誤訳説」を流すなど、ちょっかいを出されることも多い物語。 その世紀末の1893年、Marian Roalfe Cox女史とAndrew Lang氏は、345のシンデレラに類する物語を収集した研究成果をまとめた本「Cinderella: Three Handred And Forty-Five Variants of Cinderella, Catskin And Cap O’Rushes」を出版しました。 19世紀末には「シンデレラ物語」は、国境のない、ユニバーサルな社会的な現象として、学術的な研究対象になっていたのです。 コックス女史の研究から間もなくのこと、日本の南方熊楠はアジアにあったシンデレラの類型の昔話を発掘し、「西暦九世紀の支那書に乗せたるシンダレラ物語」発表します(1911)。 中国の「葉限」です。

シンデレラがこれほどまでに世界中で愛される存在になったのは、「シンデレラ物語」と似た類型の昔話が、世界各地で700以上も採集されているほど、わたしたちの心の奥深くにあるものに触れるから。 その根底に「神話」とつながるものがあるからです。 「こころのDNA」に近い物語だったからです。 この日本でも、「米福粟福」がシンデレラ異文として知られています。 そうした昔話に流れる「神話」の精神が、シンデレラ物語のDNAになっています。 シンデレラ物語は、あなたの街の物語なのです。

しかし、無数にある昔話のなかで、「シンデレラ物語」は、どうしてこれほど世界中で愛され続けるのでしょう?

私たちには、幸運にも17世紀、シャルル・ペローがいました。 たとえば昔話「桃太郎」は、今も「昔話」として聞きます。 しかし「シンデレラ」は、どうでしょう。 自分を登場させませんか? シャルル・ペローは、「シンデレラ」を、“現実の社会”と“昔話のDNA”とが巧みにオーバーラップする物語へと再構成し、「シンデレラそして、小さなガラスの靴」を仕上げたのです。 誰しも「シンデレラ」を「昔話」として聞くのではなく、「自分」を投影して聞くようになり、アンインストールできなくなるのです。 こうして「シンデレラ物語」は、世界中の人々を世代を超えて魅了していく「現代の神話」になったのだと、コンフォートクックは考えています。

コンフォートクックの「ガラスの靴」は、シャルル・ペローへのオマージュです。

「ガラスの靴」をめぐるコンフォートクックの冒険は2002年に始まりました。 今も「シンデレラ」、「ガラスの靴」、そして「リングピロー」の探検を続けています。少しずつ、ここでご紹介していきます。 シャルル・ペローの「シンデレラ物語」が、世界中を、ほわっと明るく照らしていった様子も、少しずつご紹介していきます。

# by comfortcook | 2011-01-23 21:47 | シンデレラについて | Comments(0)

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